出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾八:ロトイティ湖のオレンジ・トラウト
オークランドを離れる時が来ました。ニュージーランドにいる間に訪れてみたい場所が2カ所ありました。それは、温泉で有名なロトルア、そして登山目的のエグモント山でした。ロトルアに向かう途中、ピーターのお母さんから紹介された、ロトイティの湖畔の友人のお宅に、数日滞在させてもら...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾六:オークランドで日本食の歴史を講演
オークランド滞在中、ニュージーランドを代表するオークランド大学を訪れる機会がありました。当時から、オークランド大学には日本語学科があり、人づてに日本語を学ぶ会のサークルがあり、日本語のネイティブを歓迎していると聞き、参加してみました。
当時、ニュージーランドには日本人...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾伍:ポンソンビーでのマオリの人びととの交流
マリー亡き後、オーストラリアでのチャレンジを将来に託し、断腸の思いでシドニーを後にしました。最小限の衣類、山の用具、しかし包丁だけは肌身離さず持っていたいのでタオルで包みしっかりと留め、キスリング・ザックの中に詰めこみ、ニュージーランドの商業都市オークランドの街...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾四:ビジネス・パートナー、マリーの死
1973年2月、真夏のシドニー、紺碧(こんぺき)の空、私はエリザベス・ベイの公園で、1人大の字に寝そべりながら、年末に向けてのレストラン・オープンの現実的な計画を思い浮かべていました。気持ちはますます高まり、怖いものなしで、問題など何もないと鷹をくくっていました。
そ...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾参:皇太子同妃両陛下をおもてなし
1973年、日本から当時の皇太子同妃両殿下(現在の天皇両陛下)が国際親善のためにオーストラリア、ニュージーランドを訪問されることになりました。当時は、日本からオーストラリアへの直行便はなく、皇室訪豪に向けて日本航空が特別機を飛ばしました。
皇太子同妃両陛下がシドニーを訪問...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾弐:日系企業へのイベント・ケータリングの開始
戦後、30年を過ぎたころは海外に向かう日本企業、日本人が増え、シドニーでも1970~80年代に日本企業、政府関係が活発に動き始め、オーストラリアにおける日本企業進出の基盤が整えられました。「スキヤキ・ハウス」を訪れるダーク・スーツに身を固めた日本のビジネスマン...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾壱:氷柱で表現した日本食の奥深さ
マリーからの連絡でシドニーでレストランの物件の交渉が具体的に進められてることが確認できたので、あとは事の成り行きを見極め、実現に向かって順調に進むことを願い、シドニーに戻りました。
当時は、ビジネスを立ち上げるためなど理由から、6カ月間、滞在許可が与えられるマルティプル・...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の拾:オーストラリアの食の可能性を感じたアデレード訪問
「スキヤキ・ハウス」のコンサルディングが一段落したのを機に、シドニーでのレストラン・オープンに向けての話し合いを進めるため、ビジネス・パートナーのマリー氏の元へ、初めてアデレードを訪れました。
当時、オーストラリアの主流の国内線には、今はなき航空会社のT...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の九:大繁盛の「スキヤキ・ハウス」
1970年代は、日本の商社がオーストラリアにおけるビジネスの全盛期へと向かって、活発な動きを見せていました。ビジネスで訪れる日本人の数も増え、彼らは日本への出張の度に日本からさまざまな食材を持ち帰り、家庭で、また更におもてなしとして日本料理を紹介していました。彼らの踏み跡が...