出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾八
「フュージョン ・スタイル」 の始まり
1980年代 後半、それまで人気だったオーソドックスな料理から、多国籍文化の中で生まれてきたフュージョン・スタイルという新しい流れを感じられるレストランが増えました。若いシェフたちが、オーストラリアの持つ独自性を生かし、更にエスニックなエッセンスを取り入れ、...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾七
産声を上げ始めた豪州産の日本食材
1980年後半は、シドニーや地方のテレビ局から、日本料理の紹介の依頼が増えたり、更には新たに日本料理の本の出版の話がいくつか舞い込んできました。
昨今は、YouTubeが大流行り。多種多様なテーマで、それぞれ得意な分野のHowtoものなどを画像を通...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾六
シドニー・シーフード・スクールの開校
1980年代後半、100席以上の規模を持つレストラン「スエヒロ」や「サントリー」が去った後も、日本料理の大型店はますます増え、「Sushi House」というチェーン店なども登場、オーストラリアにおけるホスピタリティ・インダストリーは更に面白くなってきました。レ...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾伍
日本料理、進化の時代に突入
1980 年代の開幕は私にとって一大転機となる料理の活動に拍車が掛かりました。ル・キオスクの契約が終わり、日本食に関する全てのエリアに精通したこれまでにないビジネスを追及することを目指し、「Japanese Functions of Sydney」のオフィスをノース・シド...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾四
豪州発日本料理本の出版
1980年代に突入した30歳半ばのころは、私の人生において最も新しいことにチャレンジできた時期でした。主なビジネスとなってきていたイベント・ケータリングがますます忙しくなりました。
70年代のケータリングは日系企業や商社の奥様方からの依頼が中心でしたが、80年代になると扱う人...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾参
シェリー・ビーチの人気レストランへのスカウト
3年間の私の「魚秀」事業は、ウナギやマグロの養畜、養殖がより盛んになり、鮮魚、貝類の種類もますます増え始めた頃にひと区切りを付け、惜しまれながらも終了しました。
1980年代当時、日本はバブル経済真っ盛りで、70年代後半辺りからシドニーへの日本企業進出も...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾弐
徐々に鮮魚市場の人気が高まった70年代
皆様、明けましておめでとうございます。本年も、より幸多い年の開幕に向けてご一緒しましょう。さて、「魚秀」(1978~80年)の時代、オーストラリアの鮮魚市場は、徐々に国外のマーケットへと目を向け始めました。70年代は、天然のイエロー・フィン・ツナ(キハダマグロ...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾壱
日本食関連イベント初開催、日豪プレス創刊
1970年代、日本食レストランは末広の独壇場でしたが、その後、石岡さんというシェフを迎えて中国人オーナーによる鉄板焼レストラン「都」がオープンしました。今では遠く懐かしい当時の日本食レストラン業界ですが、思い返せば、この時期がまさにオーストラリアにおける日本...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾
シドニーの鮮魚改革を目指して
息子との2人旅を終えシドニーに戻った後、1977年、東京マートの隣に「魚秀」という鮮魚の小売と卸の店をオープンしました。当時、日本食レストランを開くことも考えましたが、既に順調に動いているイベント・ケータリングの仕事は自分の自由な発想と演出を企画し、売り込める点が面白く、...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾九
世界1周旅行、包丁式の継承
スエヒロとの契約が終わり、次のプロジェクトに進む前に、4歳になった息子と2人で飛行機に乗って世界旅行に出掛けました。この旅の大きな目的の1つが、息子を日本の親や親戚に会わせることでした。日本に帰るのは7年ぶりで、1か月ゆっくり日本で過ごすことにしました。
シドニーを出て、...