気ままオーストラリア旅行記 (2004年12月)
大野 義郎
1. パース到着
かねてオーストラリア縦断ドライブをしたい希望をもっていた私はある航空会社のマイレッジ(ある会社を利用したフライトの距離に応じて無料の航空券が支給されたりする特典)が かなり溜まったので、かみさんにその相談を持ちかけた。 そんな砂漠のドライブが主の旅行など嫌だわーだけど春の野生の花がきれいなパースなら行っても良いわよとの反応。 縦断ドライブでメルボルン、アデレード、エヤーズロックからダーウィンというコースを考えていた私と彼女の希望と妥協の結果、今回の夫婦一緒の海外旅行はパース、エヤーズロック、メルボルンの3箇所をオーストラリアの春に訪問することに決めた。 二つ目の条件として、定年後と言うことで、時間に余裕のある私たちなので、1ヶ月ほど行って自由気ままにやってみようー予約は航空券と最初のパースにおける3日間のホテルだけとして、あとは出たとこ勝負とした。 レンタカーも予約せず、何をするかも前もっては全く決めなかった。 特にパースではオーストラリアの生活を体験してみよう。 ちなみに私たちはブリッジ、ゴルフ、ハイキングという、共通の趣味があり、出来ればそれらをやってみたい。 三つ目の条件として出来るだけ経済的な旅行を心がけた。 
さあ出発だ、 10月4日のQF070便20:25成田発パース行き直行便は翌日やや遅れて朝の7:00頃パース到着、 気温18度 天気晴朗にしてやや肌寒い。 さてこの旅行どうなりますか?

2. 宿屋探し
空港の銀行で両替をしたが1豪ドルが86円位のレートで、新聞に載っているレート80円とはずいぶん違う印象を受け、これは出来るだけクレジットカードで支払いした方が良よさそうだと感じた。 後になって判ったがこの判断は正しく、オーストラリアの今回の旅行で行ったどんな田舎町でもカードは通用し換算レートは1豪ドル81円から82円くらいだった。
最初の3日間を予約してあったホテルはシティーウォーターロッジというモーテルで スワン川沿いのきれいなラングレー公園の近くにあり、市の繁華街にも歩いて15分くらいで行ける。 市内だが、自炊設備や駐車場もある。 まずは市内の地理感覚を得ようと言うことで、地図を頼りに街中を歩いた。 繁華街はパース駅を中心とした約1Km四方で 特に商店、官公庁や銀行は南側に多い。中心部の地理はわかり易い。 心配している残り17日間の泊まる所は コンドミニアム、B&B,間貸しのどれにするか決心がつかない。 だが、かみさんの方は元気だ。 何とかなるわよ、決めるのは明日以降にして今日は市内見学に行きましょう、と全然心配する様子も無く、どんどん市内散歩を続ける。 かみさんは日本で,だらだら昼間からテレビを見てい時とは大違いで、元気だ。 最初 電車でフリーマントルに行こうとして電車に乗ったが、ある駅で人がぞろぞろ殆ど降りるのでここだと思い一緒に降りた。 駅前にスタジアムがあり、そこで農業フェスティバルをやっている。 子供の馬術競技を行なっており、農作物の展示等があったりで人々は本当に楽しげである。 しかし おかしいぞ、案内書にある、港や海洋博物館、マーケット等が見当たらない。 なんとフリーマントルの5つも前の駅で降りてしまったのだ。 車内放送が聞き取れなかったのだが まあそれも仕方ない、ここでちょっと見物してから行くか、 これは気まま旅行なのだから。
翌日Visitor Information Center(旅行案内所で、以降Iと表記する)に行って宿の情報を聞いてみるが安い適当なところが見当たらない。しかし前日、日本食堂の前で日本語パースタウン情報誌を見ていたかみさんが貸しスタジオ(貸し部屋)の情報を見つけてあったので次善の策として、そこに電話をしてみた。 それが今回の体験滞在を成功させる大きな原因となった。 電話をすると日本人の家主、五社さんが応対に出た。 彼はご家族ともどもパースに18年間も住み、借家と貸間を持ち手広く不動産業をやっておられる方だった。 一日50豪ドルでうちの裏の部屋を貸しましょう、ゴルフ場については、私も随分やりますのでパブリックから、名門メンバーコースまで、総ての情報があります、ショッピングモールやスーパーは近所にありますよ等々。 おまけに犬好きのかみさんの気に入った条件としてクロちゃんなる18歳の五社さんとパース生活の総てを共にした老犬がいて,第三者にはよくほえるが,我々とはすぐに仲良くなった。 悲しいことに私たちが帰国する当日元気のよかったクロちゃんがべったり1日中寝て様子がおかしくなっていた。 帰国後わかったことだが,1週間くらい後についに老衰で死んだそうである。 合掌。 
余談はさておき繁華街から15分くらい離れた住宅街にある五社さんのスタジオを借りる事とし、市内のホテルにいる間は,キングズパークやラングレーパークなど手近な散策を済ませた。豊かな緑と花の絨毯、バンクシャーや,カンガルーポ-―などのオーストラリア独特の花を見るにつけオーストラリアの花の都にいるという感激に浸った。10月始めのパースはほぼ春の花の終了時期になるが,キングズパークでは花案内のツアーに沢山の人が参加し、自然を愛し自然の中で生活をエンジョイするオーストラリアの人々の姿が見えたような気がした。 市内にいる間に,懸案のエヤーズロックツアーについて市内にHISの店があって,日本語で話が出来ることもあり,2泊3日のアリススプリングズ出発のアドベンチャーツアーを申し込んだ。 大分我々のオーストラリア生活の骨格が見えてきた。

3. ドライブ
家主の五社さんの紹介でパースのローカルの会社からレンターカーを借りることにした。普通、旅行案内書では大手レンターカー会社に日本で予約することが薦められている。 しかしこの前ニュージランドへ行った時,予約した大手に比べ、ローカルの会社のほうが、随分安かったということがあった。予想通りで,日産のパルサーが保険を含めて,1日35豪ドルで借りられた。 但し4日以上借りること,1日平均50キロ以下で越えた場合は10キロにつき1豪ドル払う事などの条件だった。 最終的にパースを発つ24日まで借りて150豪ドルほど超過距離を支払ったが,予算よりかなり安くあがった。 さて日常の買い物や,ゴルフ場は足の問題が無くなり、まずは道に迷わないためには 我がスタジオの位置確認は重要だ。 地図が良く出来ているし新しい町で碁盤目の道路なので行きたい所へは行けるが、慣れるまでは暗くなったりすると帰れなくなりそうだ。 モーリー通りとビーチボロの角ということを頭に叩き込む。 街は私たちにとって目新しく、車の運転そのものが新鮮で心地よい緊張を招く。
さて長距離ドライブを何処にするか。西オーストラリア州の地図をガソリンスタンドで仕入れ、方針としてはIで貰ったツアー情報に頼ってドライブ計画を立てたる事とした。
まずは足慣らしで,近場のスワンリバーワイナリーへ行こう。 我がスタジオからわずか10キロ程度のスワン川沿いにワイナリーが10軒以上あるという。 緑に囲まれたスワン川では若者がゆったりカヌーをこいでいる。 ワイナリーでここではこの時期ワインフェスティバルが催されていて、バンドが生演奏しており,試飲した人々が楽しそうに陽光の中で談笑している。 私も試飲をしたが,1本20豪ドル程度で充分うまい。 ハロー日本人か? 私は東京に行ったことがあるのよ。 若い女の子に話しかけられ美味しいワインと相乗効果で有頂天。その後スワンリバーの中にある,ホワイトマンパークで2時間ほどのブッシュ歩きをしたが,ブッシュと言っても足元は野生の花が咲き乱れ、ルートの途中要所では、野生の草木の説明した掲示板があり興味を満たし,期待以上に楽しめた。
次は海岸砂漠の奇岩―ピナクルズ。古い開拓の町ニューノルシア経由で行くと野生の花がきれいだという情報。 朝6時に出発した。道は分離道路ではないが郊外では制限時速110キロであり、110キロ程度で走っても空いているのと真っ直ぐな道路なのでゆったり走行している感じ。 ニューノルシアからモーラ、セルバンテス経由のピナクルズまでの道は 軽いアップダウンはあるもののやたら直線が長く、道路際には美しい野生の花が群生していた。 最初は感激して止まって写真など撮っていたが,その内あまり同じ事の繰り返しでその内時速110キロのスピードを落として車から観察するのみ。  ピナクルズの公園の中は,ドライブスルー-であるが,勿論駐車して歩き回ることも出来る。 期待通りの面白いい眺めであったが、入園料を払うところで,あなたの車はここへの接近中スピードの出しすぎですと言われてしまった。 何かで計測していたのである。 ピナクルズの形成過程は古い大きな堆積岩盤の間がが,風化して抜けてきのこ状の岩が形成されたという。全般的にオーストラリアは古い3億5千万年前の超大陸パンゲア時代の地層が残っていることが多い。 帰路は海岸沿いのツーストンズと、ヤンチエップを通りインド洋沿いのきれいな海岸を見ることが出来た。 天気の良いせいで,エメラルドグリーンの海の色に目が洗われる感じだ。 1周約600キロの最初の長距離ドライブは無事暗くなる前に帰宅できた。
1週間ほど置いて次の大ドライブに出かけるのであるが,それまでは,後で別に報告する,ゴルフとブリッジで毎日が忙しく日本の定年退職者はパース3週間の日常生活で,退屈することが全く無い新鮮で緊張した日々であった。 我々のドライブのメインは南のアルバニーなる美しい町とオーストラリア大陸の南西の端に行くことだった。丁度五社さんの借家を借りている方が同じルートを回っているというので我々の出発をずらしてその方の情報を聞いてから出かけることにした。 その方は,よく勉強される方で,事前に 例えば野生のランを見ようとか 目的意識をしっかり持ち 行こうとする地方の自治体のホームページからあらゆる情報を引き出してあらかじめ分単位の計画を立ててからドライブに行っていた。 非常に役に立つ情報であったが 彼らは4泊5日, 我々は1泊2日と条件も異なるし,さらにこちら泊まるホテルも決めないアバウトな気まま旅、旅行の雰囲気がいささか異なった。 例によって朝6時に出発し,アルバニーハイウェイをただひたすら南に走る。あまり深くない森林が何処までも続く。最初の町ウィリアムズまでは約200キロ、ガソリンスタンドが,雑貨屋と簡単な食堂を経営している。 給油と同時に我々も持参のサンドイッチをそこで注文したスープとあわせて食べた。 この田舎の日替わりスープはミネストローネ風野菜スープであるが、なんとも言えずうまく、なんだか大きな拾い物した気がした。 さらにひたすらドライブを続けると浅い森林が牧場に変わってきた。 広い! 西オーストラリア州で面積が日本の7倍もあり,人口はわずか200万。人口密度から言うときっと1000分の1程度に違いない。 牧場の小屋もまれにしか見当たらない。 次の町コジョナップは泉の町で、1800年の始め頃、アルバニーから周辺に開拓は進みパース近辺に人を送り出す中継地だったという。 Iがありそこのおばさんはとても親切で、スターリングレンジ国立公園の野生のラン探しツアーには間に合わない事が判った。(ちょっとした町には必ず I があって旅の手助けになったが 係員は中年の女性が多く,例外なく親切でこんなことがオーストラリア観光の印象をぐっと良くしている)スターリング国立公園はパスと決め,次の町マウントバーカーで,バンクシャー農場へ行った。なんと嬉しいことにそこには多種類のバンクシャーの花があるだけでなく10種類くらいの野生のランを近所で採取し陳列しているではないか。エナメルオーキッド、スパイダーオーキッド,レモンオーキッド等等。やった-と叫んでばちばちと接写した。 ちなみにこの町はかってリンゴの町だったが,今は周辺の牧場の中心地に変わってきたそうだ。 そこから30分くらいでいよいよアルバニー、パースより古い町であり,港湾都市、今は総ての観光資源に恵まれた観光スポットだ。 
アルバニーのIで この近辺のトレッキングコースを歩くとどのくらい時間がかかるかと訊いたところア カップルオブウェークスと言う返事がどうしても理解できず何度も訊き返した結果オーストラリア訛りウィークス(週)のことだった。 沢山トレッキングコースがあり全部走破するには数週間はかかると言うことらしかった。 英語の訛りだけでなく内容的にこちらは2〜3時間の歩きのコースを教えて欲しいと期待していたので会話がかみ合わなかった例である。 昼飯を歩道にテーブルを並べたカフェテリアで食べたが 例によりメインは量がやたら多いので,かみさんとシェヤーする。 海を背景とした坂道沿いの古い銀行や教会を眺めながら,良い気分であった。 ホエールウォッチングもこの町の観光目玉であるが、それには半月遅過ぎたそうで残念。 町を出発、紺碧の南氷洋とごつごつした奇岩の多い海岸線を見た。 さらにその近辺に多くあるカリの大木の上に歩道が作ってあって人間が鳥の目線で森林を見るというエコハイキングをした。 デンマーク国と無関係のデンマークと言う町を通過し ワラポールにあるモーテルに宿をとった。 ワラポールは1930年代の世界不況の際失業者を開拓に送り込んで初めて開かれたと言う物寂しい田舎町だが,今でもやはり林業を主にしている。 モーテルがパブとレストランを兼業しておりそこで期待していなかったのに美味いディナーにめぐりあえ幸せ気分で就寝。
翌日6時発 ここへ来て初めてのくねくね曲がった森林の中の道は濃い霧が発生し 行き交う車は全くいなくて幻想的ですらあった。 突然何か人影のようなものが道路を横断したーかみさんが“カンガルーよ”と叫んでいる。 野生のカンガルーがいるとは聞いていたが,初めて遭遇した。かなり大きいからワラビーではない。 夜行性らしいが霧が深いので,まだ活動していたのであろう。 その朝,計4回もカンガルーを見かけることとなったが,動物園と違いさっと隠れてしまい写真には撮れなかった。 しかし車と接触した可哀相なカンガルーの死骸にも遭遇した。 車の方も大変だそうだ。 その後ダチョウのようなエミユに会ったがこれはどうやら牧場で飼育しているもののようだった。 さて次はケープルイン、オーストラリア大陸の南西端で点滅する灯台、インド洋と南氷洋の境にある。境界線があるわけではないが心の中でここが境界に違いないと勝手に仮想の線引きをした。 これからは南下が終了しパースを目指して北上することになるが,オーストラリア全国的にも有名なワインの郷マーガレットリバー地区。 ボエッジエステートなるワイナリーで良い雰囲気で時を過ごすうちについ衝動的にワインを大量に買い込んだ。 さあ持ち帰りが大変だ。 
その後遠浅の海のため1.7キロ程海に突き出した昔の桟橋を観光の目玉として売り出しているブッセルトンなる町へ行った。 19世紀半ばに造られたと言う木造桟橋は意外と傷んでいない。 海上に突き出したジェッティーは青いインド洋上の歩道橋のようである。 釣りを楽しむ人の間を縫って先端のコーヒーショップのある小屋まで歩く。 中華料理屋で遅めの昼食を楽しんだ。 
 バンベリー、マンデュラ、ロッキンハム、フリーマントルとインド洋沿いの風光明媚な町々を観光せずにひたすらパースの宿を目指して車を走らせた。 2日間のドライブ 1400キロ、ちょっと急ぎ足に過ぎたかなあ。 今回のパース20日間では時間が不足し 行けなかった,ドライブ旅行目的地はジェラルトン、ウェーブロック、 モンキーマイア等で次回以降に取っておこう。 いずれにせよ次ぎに報告する,ブリッジと,ゴルフも車無しでは難しく,パース生活で,車は必需品だった。

4. ゴルフとブリッジ   
パースの20日間にブリッジに4回、ゴルフは5回したのだから相当なものである。 両方とも下手の横好きで威張れるような記録を出したわけではないが,充分楽しめた。 どのゴルフ場にしようか、道はどう行くのだ,どんなゴルフ場だろうなどと事前に調べたりしていると、わくわくしてまるで退屈と縁遠い日々であった。                                   
まずゴルフであるがパースのどのIにもゴルフ場案内のパンフレットがありそれを見ればわかるが道路マップに総てのゴルフ場の住所と電話番号が出ており,それの方を今回は利用して行った。その情報によると人口150万のパースになんと40箇所以上のゴルフ場があり,半分以上がパブリックでプレー代が本当に安い。 18ホール、ワンラウンド回って,20ドル以下のところが多かった。 朝6時からやっており健康の為にその時間からでも何人かはプレーしているようだ。 キャディーはいなくて 電動カートは有るにはあったが、運動にならないので 主として手引きカートを使用した。 例外的に家主の五社さんに全豪オープンもやったことのあるという本格的メンバーコースのウエスタンオーストラリアゴルフクラブヘ連れて行ってもらったが,距離が長くて参った。 しかし新緑のきれいな本格的コースを気分良くプレーして夫婦二人とも幸せ感に浸った。 よく行ったハムスレーなるゴルフコースでは南アから娘のところに来ているジョイと言うおばさんと親しくなり何度か一緒にプレーをしたが,中々負けず嫌いで,いっしょにプレーをして楽しい人だった。 
オーストラリアでブリッジをしようと言うのも我々の旅行の目的であった。日本で調べてあったサウスパースブリッジクラブに電話するとデニスという高校の数学の先生をリタイヤーした方が世話係で親切にディレクターに紹介したりプレーの仕組みを教えてくれたりで,我々旅行者に本当に助かった。15〜16組規模のゲームで 成績は中くらいであったから迷惑はかけなかったのだろう。日本のブリッジ連盟ともパソコンでつながっているらしく日本でのブリッジ会員番号を聞かれ入賞したら点数をあげるよと言われた。 ゲームの仕組みは 私とかみさんとぺヤーを組み8組くらいの異なった相手とCGSでプレーをするのだが,プレーの相手に日本の何処から来たのか、私の娘が名古屋で英語を教えているとか色々雑談が弾んで面白かった。 英国文化圏ではブリッジが盛んだと聞いていたが,オーストラリアは日本とは比べ物にならないほど盛んだったが,ここでもブリッジは年寄りが多い。終わった後ワインを飲んで今日のゲームはどうだったとか余韻を楽しんでいた。 いずれにせよオーストラリア人は運動にせよブリッジにせよ自分でプレーをして楽しむ人たちであった。

5. エヤ-ズロックとキングズキャにオン
生活体験を楽しんだパースにお別れを告げ, 次はエヤーズロック2泊3日のアドベンチャーツアーだ。まず,アリススプリングに飛ぶ。 ここは名前の通り中部オーストラリア砂漠の中に位置するオアシスで,古くから原住民アボリジニが多く住んできた, 1960年頃以前に建てられた裁判所, 学校、病院、警察などが歴史的建造物と言うのだから,いかに町が新しいかわかる。 町にはアボリジニの人たちが男女別々にたむろしていたが,カメラを向けるのがややおそろしい雰囲気だった。 翌日早朝ヘヤリーさんなる若い女性のツアーガイドに引率され三日間のキャンピングツアーにスタート。 この人のバイタリティーと仕事に対する情熱には感心した。 長距離のバスの運転,3日間の自炊生活、テント生活の世話役, 色々な観光スポットにおけるガイドと先頭にたってのトレッキング。 自然に関する知識が深く、ドイツ人、イギリス人、日本人、イタリヤ人、ギリシャ人の混成部隊を上手にまとめるなど獅子奮迅の活躍で,立派なものだった。 アドベンチャーツアーは 青年時代に還った楽しくて緊張の三日間だった。  
まずドライブ開始後暫くして 野焼きをした草原でガイドに半焼きの枯れ木を集める様指示された。夜のキャンプ用の薪である。共同作業の開始で、皆一生懸命集め、これからはすべて自分達でやると言う雰囲気が醸成された。 アリススプリングから500キロほどドライブしアボリジニの聖地Uluru-Kata-Tjutaなるエヤーズロックに到着した。この一枚岩とも見える大きな御碗状の山は自然が雨風の力を利用して創り上げた奇跡のように思えた。周囲のトレッキング,早朝の日の出による赤く輝くロックの観賞,ここがオーストラリアのシンボルとなっているのも本当に頷ける。 登頂は風が強いと言うことで,禁止されたが,基本的には観光地になるのを嫌がるアボリジニに気を使ってか, 登頂可能の天候条件を厳しくし、容易には登らせないようにしているようだ。 エヤーズロックに劣らず我々を感激させたのはそこから300kmほど離れたキングズキャニオンだ。 ほんの数年前に国立公園指定されたばかりのこの地は4億5千万年前の地層や当時の植物がいまだ見られる未開の地だった。 6km4時間のトレッキングの間にその時代の地層を示す絶壁,3億年前と言われる二枚貝の化石,古いシダ,いにしえを偲ばせる,古い池、予想をはるかに越え 来て良かったという感激を与えてくれたトレッキングだった。 最後を締めくくるキャンプファイヤーは道すがら全員で集めた薪で燃え上がり、灰の中に鉄蓋つきの鍋を埋め込む炊き方で全員で造った夕食は本当に美味しく楽しかった。 ツアーを企画した旅行社と,ガイドを 日本の旅行社も見習う事が多いと感じた。 

 6.メルボルン
旅行も残り一週間、楽しくて刺激の多い毎日がまたたく間に過ぎていく。メルボルン、オーストラリア第2の大都会、どんな旅行にするかまるで計画無く乗り込んだ。 例によって一週間の内2日間のみホテルを取ってあった。タクシーに乗り、住所がここのホテルと言って、予約のバウチャーを見せると、“これはバララットと言って、ここから、2時間かかりますよ。”との返事。 大失敗をしたのである。 インターネットでメルボルン近郊ということで、予約したのであるが、全然近郊ではなくが、昔の金鉱で19世紀後半ゴールドラッシュで栄えた町であった。近郊と金鉱の間違いじゃしゃれにもならないなあとかみさんと苦笑い。タクシーでメルボルン市内のIに行きホテル探し。 ところが我々が滞在する6日目にメルボルンカップ(オーストラリア最大の競馬で国中の祝日になる)が開催されるので予約に苦労した。結果的には通しでは中々予約できず、最初の三日と最後の2日メルボルン市内のホテルの予約が出来た。それからホテルに行く為Iの近くにあるフリンダース駅のタクシー乗り場でタクシーを待ったのであるが、高度成長時代の東京のように乗車拒否もあり、大きな荷物を抱え2時間待たされた。 大都市メルボルンに対する第一印象は最悪だった。
2日目から、寒さが和らぎ天気も回復してきた。市内を流れるヤラ川からフィッツロイ公園まで歩いたが、ニューヨークのセントラルパークや、ロンドンのハイドパークに負けない 落ち着いた都会の中の緑豊かな公園だった。 3日目には電車で、間違ってホテルを予約したバララットに行った。 ゴールドラッシュを再現した19世紀半ばの金鉱の町をテーマパークとして再現してあり、充分楽しい一日が過ごせた。
3日目、レンタカーをし、海岸線のきれいなグレートオーシャン沿いのドライブに出かけた。 圧巻はTwelve Apostles(12人の使徒)となずけられた海岸沿いの海にそびえる12の奇岩であった。さらに南西にドライブを続けワランブールなる田舎町で泊まった。 この日はメルボルンでホテルが取れなかったが、結果的にこの田舎の町は風情があり、翌朝ゴルフを楽しむと言うおまけまでついた。
メルボルンカップは町じゅうがお祭り騒ぎで、女性はいつものT−シャツに変え、帽子、ドレス、ハイヒールと言ういでたちだ。 エスコートする男性もネクタイ、チョッキ、ジャケットで決めている。 皆シャンペンを飲みながら大声で、はしゃいでいる。 私たちも野次馬で、競馬場に乗り込み一人前に一攫千金の夢を見て馬券を買った。 生憎メーンの第8レース頃突風と強い雨に見舞われ、レディたちは花の帽子を必死でおさえ、屋根のある観覧席へと駆け込んでいた。 我々のレースの夢も風と共にちり去った。
   さすが大都会メルボルンは夕食に程度の良い中華や日本食を提供するレストランにめぐり合い、当初の印象の悪さはとっくに無くなった。 日本食レストランで不自由そうにフォークでうどんを食べているオーストラリア人と親しく話をした。そのご夫妻はワインの名産地マーガレットリバー出身で、遊びにおいでと言う。 このご夫妻以外にも 思い出すに パースのスタディオの家主の五社さん、 パースのゴルフ場で親しくなったおばさん、親切に受け入れてくれたブリッジクラブの人達、3日間一緒にキャンプしたガイドのヘヤリーさんや仲間達、色々な人が思い出されるが オーストラリアでは 並べて親切で思いやりのある人たちが多かった。 自然について言えば 今回の旅行では圧倒的に雄大な自然に恵まれた、オーストラリア大地の一部をちょっとかじったに過ぎないと言う感じだ。 リピーターになりそうだ、今後何度オーストラリアに行っても、楽しめる事は間違いなく年金生活の単調さから抜け出して今回同様、緊張した生活を出来そうである。  以上