パース通信広瀬寿武小説集
エッセイ集       其の一  「倅(せがれ)のしょうべん」  広瀬寿武                                         
 
良し悪しを陳腐な道徳論で結論付けるのは余りに面白くないと、先ずはお断りを!

立ちしょんは男の特権と銀座や新宿の飲み屋街でも暗がりの陰で、気兼ねなく連れしょんをするネクタイマン。狭い日本街、公衆道徳よりも不衛生でみっともない、が、生理現象で止むを得ずと男達の都合の良い理由。
オーストラリアでは至る所にブッシュがあり、それに誘われ「肥料」の足しにと気持ち良く用を足す。ゴルフ場でも男は気楽に一寸木陰で、だが後ろからは人に丸見え。

先日、息子が久し振りの里帰り。私の腕前を自慢したくゴルフに誘ったが、暑さで水のボトル数本が空になった。勢い、生理現象は時を選ばず、息子の横に並んでカンガルーの糞めがけ父親の威力を誇張しようと勢い込んだが、息子は遥か向うの糞を目掛けて見事な放物線を描くのだが、私はどんなに尻に力を入れても30cm先まで。
小便の放水力で気がついたと言う訳ではない。
とうの昔に力の差が出来て逆転していたのだが、年齢の経験力だけを盾に、振り上げた親の威厳は中々降ろす事が出来ないでいた。
忌々しいと嘆きながら、現実を認める悔しさ。
「俺にとって親父は親父さ。何時までも何も変らない」
息子は実に淡々として親の年齢に優しい。
優しくされると腹立たしさと嬉しさが混同した複雑な気持ちになり戸惑う。
老人性負けん気とは面倒臭く、馬鹿馬鹿しいのだが、老人であるがための気力でもある。
「老人と若人とは馬鹿げた戸惑いの葛藤」どちらが折れるのか、人間情の難しさ。
特に倅との間に横たわる親父の体面は不可解でつかみどころが無い。
折れてもらっても、まだ、もやもやして気が晴れない。馬鹿だな!親父は!


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