パース通信広瀬寿武小説集
エッセイ集       其の六 思惑&戸惑い 広瀬寿武                                   
年齢と共に心身の働きが、自分の想像を上回る。筋肉の衰えはまさに、酷いものだ。この様な表現をすると「肉体の衰え」だけを強調している様に受け止められる。人の思惑は表現不足、説明不足でとんでもない方向へ走って行く経験が最近特に多くなった。
これは私の脳の働きが鈍って、思うような表現力が働かないばかりか「こんな事は一々説明する事もないだろうとの思いと、説明の面倒さ」がある。
この怠慢が原因でもあるのを分かったとしても、老化現象は怠慢を押し通してしまう。
「お前は鼻持ちならない人間だ!」と言われ原因を聞くと、前後の状況の説明を省略した表現の部分だけが、一人歩きしての不信らしい。
発信者と受信者との間にある思惑の違いに戸惑いながら、老化の進行に合わせた怠慢を食い止めようがない現状にある。

最近の或る記事「夫、80代後半、末期がん。妻、80代半ば、強度な痴呆症。夫は自分の死期の近いのを感じ、痴呆症の妻を残すのを憂い、自分の手で妻を死にいたらしめ、警察に自首をした」との内容を読んだ。
ここで社会、政治、福祉等のシスティムを論じるのはさて置き、内容を人間感情の目で見てみると、2人の生涯は長編小説以上の内容を含んでいると、これは私の思惑だが、想像する。
「人に相談すればいいじゃないか」福祉の貧困さを感じながらも「何とか方法があったのではないか」腹立たしく「馬鹿な!」と口走る人もいるだろう。が、老化の中で精神的に追い詰められ「切羽詰った脳」が、どんな働きをするだろうか?
人間社会を知り尽くした80代の知恵者。でも、2人の選ぶ道はこれしかなかったのだろう。
人の思惑で人生が選べたとしても「幸せ」「不幸」の二字だけで表現出来るのか?
「思惑は人生の大きな戸惑い」と私自身への批判を受けながら、自分の日常の思惑にも疑問が多いと老化現象の脳が感じている。

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