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| エッセイ集 其の三 超女好き 広瀬寿武 | |
| 「女遊び」は止めたと言えば聞こえは良いが、その体力と能力が衰退してしまったので、遊び自体が不可能になっただけなのだ。だが天性の「女好き」は諦められない。 女は超大好きだが男は好きではない。私がこう言うと男達からよく、その理由を聞かれるが「馬鹿じゃないの!」と言いたくなる。 「俺が男だからだよ!」とこの一言に尽きる。男は同性の腹の中、思考回路を探索し易いし、理解も出来る能力を共有している。威張ったり、軽蔑したり、見栄っ張りの部分、狡さ、馬鹿さ加減も、男同士だけが理解出来る部分等々が見え見えになり、片意地を張ってみたり、訳も無く腹を立て、対抗したりする状況を勝手に作る。お互いにこれらの状況を観察出来るので未知数の部分が曝け出され、そこから自分の心情も見えるため、安っぽい男情が屁理屈を組み立て、自分の状況を擁護する。 「分かっているんだよ!分かられているんだよ!」 複雑そうに見えるが、実に単純な事情で「男は好きじゃない」 「女が超大好きな理由は?」 やっぱり知りたいらしいので、一言付け加える。 「そう、女と言う人体全てが未知の魅力の宝庫であり、その魅力には魔力がある」 「何が未知で魔力なのか?」 「それを解明する方程式が有れば教えて貰いたい」 生きて来た時間帯の中で女の声を、息を、心を、顔を、姿態を、嬌声を、涙を、恨みを、歓喜を、人格を、感じ触れて来た我が人生。だが、未だ、女は未知そのものだ。 「未知」とは興味を生み出す。興味には知りたいと言う欲望が限りなく秘められている。 「世の中には未知な部分が溢れているのに、何で女なのだ!」 「俺の人生で女ほど未知を感じさせるものは無いからだよ」 「結局、お前はそれだけ軽い人間なんだよ」 軽いは軽蔑的要素を含み、重いはそれに反比例する要素を含ませての言葉なのだろうと思うが、人の好き嫌いで軽蔑、尊敬を区別する、その思考回路に疑問を持つが? 軽い、重いを、どのように分析してなのかはさて置き「俺は軽い人間なのだ」と言われ、「その通りだ」と答える事に違和感はない。 日常、目覚めて寝るまで、いや、夢の中まで女の姿は心に触れる。現実であれ想像であれ、その容姿と心情は未知の宝庫であることには間違いない私の感覚。 作家達が書いた本の中や映像画像の中だけではない、私自身が文章の中で想像しながら作り上げようとする女像を思う時、深い未知の魅力に、限りなくのめり込む。それは人生の楽しさであり、生きて来た経験をも掘り起す。私だけが知る、私だけの世界で、一人ほくそ笑む、快い一時「女が与えてくれる偉大な素晴らしさ」に男である幸せを覚える。 重い人間と表される男達が、女の未知な魅力の部分をどの様に感じ思うのかは知らないが、軽い人間の私の「超女好き」が、これほど日々の営みを豊かにしてくれるのなら、人の口なんか気にならない。 馬鹿ゆえの人生、何が悪い? 人生とは楽しいに限る! 女は楽しい人生を私に恵んでくれた。 「女」と書こうか、「女性」と書こうか、「婦人」と書こうか迷ったが、「男」の私が感じた心境に「女」と言う韻が一番愛くるしく、最大限、適合した。そして「女」と書きながら、その女に愛しさが込み上げて来る。明日もまた、女を想う一日であればと願う。 「お前の女房も女なんだぞ!」誰かが耳元で囁く。 「あ、そーうか、女房も女だったのかー?」 忘れていた訳ではないが、思いの中に女房の姿は見えなかった。 「こりゃー大変だ!」 パース通信 |