パース通信広瀬寿武小説集
エッセイ集       其の二 私のボランティアの道草 (言葉と体感) 広瀬寿武                                   
 「最も恐るべき敵は、
過酷な境遇ではない。
私達自身の揺れ動く心です」

三重苦と闘ったヘレンケラー女史の言葉。
最も恐れしい敵は不遇ではない。運が良いとか悪いとか、そんなもので人生は
決まらない。我が人生を決するのは自分自身である。人生劇場の主人公は自分
自身である。と。
「見えず、聞こえず、しゃべれず」でありながら、社会福祉事業家として、人
生をあきらめず、常に前を向いて「人の為」を実践してきたヘレンケラー女史
が言うと、偉大な力を持った言葉に感じる。
尊敬に値する人々が魂を揺さぶるような意味深い言葉を与えてくれるが、その
ような人々は自分の人生哲学や敗れがたい信念を持って、その上に勇敢に人生
に取り組んだ経験をも、持っている。だが、哲学や信念なんかは飯の代わりに
ならないと思う私には、真実を教えてくれた言葉なのに、胃の中で消化されず、
栄養にもなっていない。
「私達自身の揺れ動く心です」確かにその通りだよな、とは思うのだが。
私なんか、一寸した障害にも「運が悪かった」「あの人のせいだ」と、自分自身の不甲斐無さを棚に上げ、都合の良い時だけ主人公を気取る。
そんな人生を気楽に過ごして、もうじきあの世へ行く年になってしまったのに、未だに揺れ動く心のままだ。
これは「最も恐るべき敵と共同生活をしている」ことになる。
「そうか!だからしょっちゅう、つまずいてばかりいるんだ」
「わかったぞ」と力んではみるが、人生革命をするだけの勇気もなく、ぐうたらな人生が続く。結局、何も分かってはいない。

ボランティアで盲人ゴルファーのキャディをしているが、盲人ゴルファー達は私より遥かに力強く健康なのだろう、滅多に休まずゴルフ場に集まる。
私の担当するMは全くの盲目、片耳難聴だが、174cm、85kgの頑強な体格。丸太みたいな太い腕で私の腕をがっちり摑まえ、体を預けられると、重い荷車を引っ張っているようで、その上、片手でゴルフバギーを引っ張りながらの誘導は、華奢な私の大きな負担になり、重労働そのもの。
それに、でこぼこだらけのゴルフ場を怪我の無いように最善の注意をしながらプレイを楽しませる気苦労が重なり、終わると疲れて気が抜ける。
だが、考えてみるとヘレンケラー女史と比較すれば「過酷な境遇」ではないと思うが、でもやっぱり健常者と比べると盲人達は「過酷な境遇」であるのは間違いない。私の重労働や気苦労なんか比較にならない境遇の中で生きている。

打つ方向に向かい立たせ、クラブのフェイスをボールに合わせ、距離を教えて打たす。健常者でもそうそう上手く打てないゴルフ。
「盲人が打てるわけないよ」と人からよく言われるが、ところが、どうして、
ボランティアのキャディの心掛けしだいで、パーもバーディも有るが、何と
言っても盲人ゴルファーの「挑戦」と「勇気」と「努力」が全てと言える。
過酷な境遇をしっかり受け止め、揺れ動く心に立ち向かう勇気と努力。
彼等の果敢で勇敢に人生と取り組む姿は、私達ボランティアキャディに
「あきらめてはだめだ」と身を持って教えてくれる。
「あきらめ、挑戦、勇気を欠くと、人生の喜びを欠くことになるよ!」と。
「人生の喜びは自分の手で捕まえろ!」
体感から会得した、賢人達が教える真実と意味深い言葉の大きさ。

私70歳、未だ臆病で怠慢のそしりを免れない。でも漠然とではあるが体感か
ら、ほんの一寸、何かを感じたのだ。

今からでも人生の喜びとやらに挑戦してみようかなと思うのだが。
「もう遅いんじゃないの?」

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